• 布施谷貞雄の演出事務所です。世界50数ケ国以上の文化交流公演で世界のArtestと出会い、現地に降り立ち共感してきました。日本文化の発信にも取り組んでいます。

三大提灯祭り 

素晴らしい提灯祭りと言えば、<秋田の竿燈>を思い浮べますが、日本にはビックリするような<提灯祭り>がありました。日本三大提灯祭りと言われる素晴らしい<提灯祭り>をご紹介します。
祭りの規模・由緒などから、
秋田竿燈まつり(秋田県秋田市)、
二本松提灯祭り(福島県二本松市)、
尾張津島天王祭(愛知県津島市)が三大提灯祭りと言われます。

提灯は、中国、台湾などにもありますが、日本では特に宗教的に、「盆提灯」(お盆の時期にご先祖様を供養するために仏壇等の前に飾る提灯)、「御神灯(御神燈)」(神前に供える、もしくは芸能の縁起を担いで飾る提灯)などがあり、詳細は不明ですが、提灯の歴史は少なくとも1000年以上あると言われています。

秋田の竿灯 日本人のデザイン力

現在行われている祭りの正式名称は「秋田竿燈まつり」。
東北地方の著名な夏祭りの一つ。毎年8月3日から6日に行われる。
竿灯(竿燈)は、長い竹竿に9本の横竹を結び、46個の提灯を吊したものを、若者が囃子に合わせて腰や肩、額などに乗せ、さまざまな姿であやつるものである。
竹竿には大、中、小とあり、大若、中若、小若と呼び年齢別で分担する。
竹竿の先端には秋田八幡神社から受けた霊符のついた御幣が立ててあり、これは8日早朝にはずして旧雄物川に流します。1980.01.28(昭和55.01.28) 国の無形民俗芸能文化財に指定されました。

二本松提灯祭り 驚く美しさ

福島県二本松市にある二本松神社の例大祭。300余年の伝統があると言わる祭です。
祭礼囃子は、福島県重要無形民俗文化財に指定され、2011年には祭り自体も福島県重要無形民俗文化財に指定されております。
七町七台の提灯(太鼓台)に約300個ずつの紅提灯が掛けられて、町名(本町(もとまち)・亀谷町(かめがい)・竹田町・松岡町・根崎町・若宮町・郭内(かくない))が書かれた提灯に、二本松神社で採火された御神火を出発地へ運び、火が灯されて、町内を曳き回します。その豪快さと美しさにため息が出ます。
福島は東日本震災で大変な被害を受けましたが、復興へ向かう福島県民の団結力・エネルギーを祭りに垣間見る思いです。

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二本松提灯祭りの由来

1643年(寛永20年)に織田信長の重臣丹羽長重公の孫・丹羽光重公が二本松城(霞ヶ城)城主として二本松藩に入府。「よい政治を行うためには、領民にまず敬神の意を高揚させること」と考え、1664年(寛文4年)、二本松藩総鎮守として二本松神社(御両社)を祀り、領民なら誰でも自由に参拝できるようにし、本町・亀谷の若連が神輿を渡御したのが祭りの始まりとされています。
元禄時代は、踊り中心の祭りであったが、歌舞伎人形を飾る太鼓台(山車・曳山)が登場、寛政3年(1791年)の藩の「月番留書」には、本町・義経千本桜 人形四ツ、亀谷町・伊達競五ツ目切 豆腐屋の段 人形三ツ、竹田町・那須与市 人形弐ツ 馬壱疋、松岡町・記録なし、根崎町・驪山比翼塚 人形三ツ、若宮町・種ヶ島義臣の鏡 人形弐ツ 橋懸リ の記録が残されている。
その後、文化政文化の影響を受け、文政2年(1819年)には、現在の太鼓台の先代にあたる唐破風・裳階つきの太鼓台が登場、幕末に至る。このとき登場した太鼓台は藩の文書にはじめ「屋台」と記されていたが、時を経るにつれ「太鼓台」と呼ばれるようになりました。
藩政時代には、「明け6つに大手先(現在の二本松市立北小学校付近)に集合すること」との命も出されており、(旧暦)8月15日の中秋の月夜であっても足元を照らすために提灯が使われたと考えられています。
江戸時代は、(旧暦)8月14、15、16日が祭礼日で、藩主が二本松在府の年に開催(2~3年毎)されていましたが、二本松大火のあった大正7年(1918年)から10月4、5、6日に開催されるようになり、又、明治になってからは毎年開催されるようになりました。
此の他、福島には二本松藩内の同様な祭礼として、本宮市の安達太良神社(本宮明神)祭礼の太鼓台、北部先囃子、南部先囃子、東部太鼓台、郡山市の安積国造神社(郡山八幡)祭礼、二本松市小浜の塩松神社祭礼などがあります。

尾張津島天王祭の車楽舟行事 美しさに感動

尾張津島天王祭の車楽舟行事は、愛知県津島市の津島神社の津島祭(天王祭)で行われる行事で、宵祭(7月の第四土曜日)と朝祭(翌日曜日)からなり、天王川で行われる。
1980.01.28(昭和55.01.28)に 国の無形民俗文化財指定され、2015年にはユネスコの無形文化遺産の候補に決定。
この行事は、盛大なもので、京都祇園祭の山鉾行事とともに我が国を代表する夏祭で、特に川祭として特色がある。大阪天満宮の天神祭、厳島神社の管絃祭とともに、日本の三大川祭の一つです。
やはり国の重要無形民俗文化財に指定されている「須成祭の車楽船行事と神葭流し」の起源ともされている。
日本人の美的センス、大胆さに溢れ、初めて見た時、圧倒されました。世界の人に日本の素晴らしさ、もっと知って欲しいですね。

尾張津島天王祭の由来

室町時代から続き地元の織田信長、豊臣秀吉にも愛されたともされる。
宵祭は、旧津島5カ村の米之座、下構、堤下、筏場、今市場から5艘のまきわら舟が出る。
この舟の屋台の上に半円、山型に365箇の提灯を飾り、中央高く立てた真柱には12箇の提灯をかかげ北の堤の御旅所に神幸し、上陸後、御旅所の神輿に参拝して引きあげる。
翌日の朝祭には市江車と称する旧市江村から出る車楽舟を先頭とし、再び車楽舟5艘が提灯をおろし、能人形を飾って奏楽をしながら御旅所へ上ってくる。
そして、御旅所近くまで来ると市江車から10人の裸の若者が鉾を持って次々に川に飛び込み、舟より先に着岸し、御旅所の神輿に参拝する。
若者達はそのまま津島神社に走り、神社の石橋に新しく張られた〆繩を切る。
続いて着岸した車楽舟から稚児が上陸し、太鼓の桴を肩にし警固役の肩車に乗って御旅所に参拝する。
稚児は神輿の還御に供奉して津島神社に行き、拝殿で津島笛に合わせて太鼓を打つ。

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