• 布施谷貞雄の演出事務所です。世界30数ケ国の文化交流公演で世界のArtestと出会い、現地に降り立ち共感してきた経験を活かし、~誰一人置き去りしない~SDGSを支援。文化の力でSDGSの木を育てたいと願い、SDGSの普及啓蒙を目的とした芸術鑑賞会、イベント、コンサート、講演会等を開催しております。

東北三大祭

東北三大祭りの由来と定義

「東北三大祭り」という名称がいつから存在したのかは不明ですが、1958年、青森ねぶた祭・秋田竿燈まつり・仙台七夕の周遊券がJR(当時の国鉄)から発売されたのを機に、祭りの日程調整が行われ、1962年から、「東北三大祭り」として、人気の高い観光商品として定着し、今日に至っています。
東北には様々な祭りが沢山ありますが、新聞・雑誌・旅行業者による「東北三大祭り」の定義としては
①起源が民俗学的見地から「七夕」、又は七夕における睡魔を払う行事「ねむり流し」「ねぶり流し」に関連している事。*「ねぶり流し」論については諸説有。

②歴史的に戦前から祭りとして確立されている事。
③県庁所在地で開催されている祭りである事。
④祭りの形式が発祥地から日本各地へと広まっている事。
⑤観客数が東北の祭り上位3者

青森県ねぶた祭り由来

青森ねぶた祭は、七夕祭りの灯籠流しの変形であろうといわれていますが、その起源は定かではありません。奈良時代(710年~794年)に中国から渡来した「七夕祭」と、古来から津軽にあった習俗と精霊送り、人形、虫送り等の行事が一体化し紙と竹、ローソクの普及で灯籠となり、それが変化して人形、扇ねぶたになったと考えられています。初期のねぶたの形態は「七夕祭」であったと推測されています。七夕祭は7月7日の夜に穢れ(けがれ)を川や海に流す、禊(みぞぎ)の行事として灯籠を流し、無病息災を祈りました。これが「ねぶた流し」と呼ばれ、現在の青森ねぶたの海上運行に表れています。

市内を練り歩くのは「ねぶた」と呼ばれる巨大な「灯籠」です。「ねぶた(ねぷた・ねふた)」という名称は、東北地方を始め、信越地方「ネンブリ流し」、関東地方「ネブチ流し・ネボケ流し・ネムッタ流し」等の民俗語彙分布と方言学から「ねむりながし」の眠り→「ねぶた」に転訛したものと言われますが、これにも諸説あり、日本の民俗文化はまだまだ研究の途上と言えます。
青森市や青森市周辺と下北が「ねぶた」なのに対し、弘前市を中心とした津軽地方では「ねぷた」と呼ばれています。又、五所川原など地域によって形式の違いも興味深いです。
台座にある<雲漢の文字は>は中国の<天の川>を意味しており、ねぶた祭りが七夕文化に起因している事が判ります。その他青森には<弘前のねぷた祭り><五所川原のたちねぶた>があります。

その他<たてもん祭り(富山県魚津市> <知覧ねぷた(鹿児島県南九州市)>滑川ねぶた等、他県へ広がってる

青森県ねぶた祭り ハネトの踊り方

ハネトとは「跳人(はねと)」と書き「踊り子・踊り手」の事を「跳人(はねと)」と呼びます。字のごとく、「跳ねる人」の事です。お囃子のリズムに合わせ、「ラッセラー・ラッセラー・ラッセラッセ・ラッセラー」の掛け声をかけながら、<二拍子>で思いっきりハネます。音頭や囃子に合わせた手踊り風の「流し踊り」と、自由参加の「自由踊り」がありますが、ハネトは「自由踊り」→跳ねるおどりです。

ハネトの基本の踊り方

自由に、思い切り踊ります。

秋田県竿燈まつりの由来

竿燈(かんとう)は、毎年8月3日 – 6日に秋田県秋田市で行われる祭り。祭りの正式名称は「秋田竿燈まつり」昭和前期まで「ねぶり流し」と称されていました。又、昔は作り灯篭、ネブリナガシ、七夕とも呼ばれていました。竿燈全体を稲穂に、連なる提灯を米俵に見立て、額・腰・肩などにのせ、五穀豊穣を祈る祭りで、重要無形民俗文化財に指定されています。竿燈は、外町(町人町)に住む職人や商人によって始められ、お盆に門前に立てる高灯籠を持ち歩けるようにしたのが竿燈の始まりとされています。蝋燭や提灯が町民にも普及した事で、次第に灯篭の数が増え、次第に力や技を競うように変化していきました。

秋田の竿燈が登場する歴史的文献

1748(寛政元)年に書かれた紀行文「雪の降る道」に、現在の竿燈に近い姿の絵が描かれている。
1814(文化11)年に書かれた「秋田風俗問状答」に、平手で竿燈を持ち上げている絵が描かれている。
1867年(慶応3)年に書かれた「出羽の道わけ」に、頭に乗せて演技する姿が描かれている。
文献により数百年の歴史をもつ祭りである事が判ります。
竿燈の語源は景徳傳燈録の百尺竿頭須進歩からヒントを得て、大久保鐵作によって名付けられたとされている。
景徳傳燈録(けいとくでんとうろく)は、中国・北宋代に道原によって編纂された禅宗を代表する燈史です。

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秋田の竿燈祭り 提灯について

祭りの本番は10000個を超える提灯が夜空に輝きます。
竿燈に使われる提灯には、町の繁栄を願い町紋や社章が描かれ上米町一丁目は「兎の餅つき」、上米町二丁目は「伊達牡丹」など絵で町内が判断できるよう工夫されています。
諸説ありますが佐竹義和が描いたとされています。
提灯は職人による手仕事で、雨で和紙が溶けないように表面に油が塗られて燭台の両脇に穴が開けられ、倒れた時に火が消えるよう工夫されています。

仙台七夕祭りの由来

笹や合歓木に願い事を書いた短冊を下げ、それを手に練り歩き川へ流して真夏の邪気や睡魔を払う「眠り流し」が原型とされています。眠り流し自体は江戸時代以前より行なわれていましたが、宝暦年間には現在の原型があったとされています。五穀豊穣や無病息災、技芸上達を願い、旧暦7月7日にあわせて行われる七夕行事とともに、旧暦7月15日のお盆を迎えるための行事として現在の形になっていきました。

海外に広まる日本の祭り 七夕祭り

年中行事の1つである「七夕」を仙台が商業イベントとしての「七夕祭り」へと昇華したことで、高度経済成長期に興隆した日本各地の中心部商店街や海外(ブラジルやアメリカ合衆国)に広まりました。
ブラジルには、「サンパウロ仙台七夕祭り」1979年6月2日サンパウロ市中心部のリベルダージ地区で初開催。
現在はサンパウロ市のイベントカレンダーに載るほどの規模になり、例年7月下旬から8月上旬の開催されている。
現在はブラジル各都市にも広がりを見せ、南半球にあるブラジルの「冬の風物詩」として定着しています。
フランスのパリ市では「仙台七夕まつり IN パリ」が開催されています。
その他、仙台七夕国際交流実行委員会(市民組織)などが海外での七夕普及活動を行っています。

三大提灯祭 日本松提灯祭 提灯尾張津島天皇祭  米子市がいな祭り

 

<二本松提灯祭>

<提灯尾張津島天皇祭>

<米子市がいな祭り>

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