• 布施谷貞雄の演出事務所です。世界50数ケ国以上の文化交流公演で世界のArtestと出会い、現地に降り立ち共感してきました。日本文化の発信にも取り組んでいます。

日本の三大祭りの由来

踊る、ハネル、ハジケル、祈る~祭りは1年に1度、日常を忘れ、思いの丈をぶつける、又、男女の出会いも許される、待ちに待った日。
日本は人の暮らしがある処に、必ず祭りがあると言っても過言ではありません。
日本人は文化を通して心情を伝える、共有する生活風土が根付いているとも言えます。
中でも京都の祇園祭、大阪の天神祭り、東京の神田祭は日本三大祭りと言われ盛大な祭りが繰り広げられます。

京都祇園祭(京都市八坂神社)由来

祇園祭(ぎおんまつり)は京都市東山区の八坂神社(祇園社)の祭礼で、明治までは祇園御霊会(ぎおんごりょうえ、御霊会)と呼ばれた。平安時代前期の869年(貞観11)、京で疫病が流行した際、広大な庭園だった神泉苑(中京区)に、当時の国の数にちなんで66本の鉾を立て、祇園の神(スサノオノミコトら)を迎えて災厄が取り除かれるよう祈ったことが始まりとされる。
応仁の乱(1467~77年)で祭りは途絶えたが、1500年(明応9)年に町衆の手で再興され、以後、中国やペルシャ、ベルギーなどからもたらされたタペストリーなどを各山鉾に飾るようになった。
これらの懸装品の豪華さゆえに、山鉾は「動く美術館」とも呼ばれる。
江戸時代にも火災に見舞われたが、町衆の力によって祭りの伝統は現代まで守られている。
2009年にはユネスコ無形文化遺産に登録されました。

祇園祭りは京都の夏の風物詩

祇園祭は7月1日から1か月間にわたって行われる長い祭で京都の夏の風物詩である。祭礼行事は八坂神社(祇園社)が主催するものと、山鉾町が主催するものに大別されるが、一般的には山鉾町が主催する行事が「祇園祭」と認識されることが多く、その中の山鉾行事だけが重要無形民俗文化財に指定されている。
八坂神社主催の神事は 「」(神幸:7月17日・還幸:7月24日)や「神輿洗」(7月10日・7月28日)などが著名で、「花傘連合会」が主催する花傘巡行(7月24日)も八坂神社側の行事といえる。
山鉾町が主催する諸行事の中でもハイライトとなる山鉾行事は、神輿渡御に伴う「露払い」の位置づけで、神幸祭に先立つ「前祭(さきまつり)」と還幸祭の「後祭(あとまつり)」がある。
高度成長期以来、交通渋滞や観光促進を理由に、前祭と後祭の合同巡行が続いていたが、祭り本来の形を取り戻そうと分離が決定し、2014年、約半世紀ぶりに後祭の山鉾巡行が復活しました。
宵山、宵々山、宵々々山には旧家や老舗にて伝来の屏風などの宝物の披露も行われるため、屏風祭の異名があります。

大阪天神祭の由来

天神祭は大阪天満宮が鎮座した2年後の天暦5年(951年)6月1日より始まったとされているます。この時の祭事は大川より神鉾を流して、流れ着いた場所に祭場を設け、その祭場で禊払いを行うというものでした。これが鉾流神事の元となり、その祭場に船で奉迎したことが船渡御の起源となっていると伝えられている。

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天神祭が日本三大祭の一つと呼ばれるようになるのは江戸時代からです。安土桃山時代に豊臣秀吉より催太鼓を拝領しました。寛永末期に祭場(御旅所)を雑喉場(ざこば)に定めたため鉾流神事が取りやになりましたが、このころ陸渡御の起源となる地車(だんじり)が登場しました。
慶安2年にでたお触書によると、多くの地車(だんじり)が争って宮入しようとするため順番を決めさせたとあります。元禄時代になると御迎人形と呼ばれる2メートルほどの人形を船の穂先に高く飾り付けるようになる。この頃より講が形成され日本三大祭りとして呼ばれるようになりました。この頃の天神祭の壮大さは『東海道中膝栗毛』や『世間胸算用』の中にも登場しています。

大阪天神祭(大阪市大阪天満宮)

大阪天満宮を中心として大阪市で行われる天神祭は日本三大祭りの1つとされ、6月下旬から7月25日までの約一ヶ月間にわたり行われます。
25日の本宮の夜は大川(旧淀川)に多くの舟が行き交う船渡御が行われ、奉納花火があがります。

東京神田祭(東京都神田明神)

「神田祭」は、江戸総鎮守(神田神社。東京都千代田区外神田)の祭礼です。京都の祇園祭、大阪のととともに日本三大祭りの一つにも数えられる日本を代表する祭りで、5月15日に近い日曜日を中心に5日間執り行われます。神田明神は時代劇「銭形平次」の舞台です。もともとは9月15日に斎行されていた秋の祭りでしたが、嵐による被害が発生し、明治になって比較的天候の安定している5月に行われるようになりました。
神輿の出る本祭りは山王祭と隔年で行われ、本祭が行われない年には神輿が出ない蔭祭が行われています。その昔は大きく絢爛な山車を曳行していましたが、道路事情の変化で今は神輿がメインの祭りになっています。

神田明神は、大手町、丸の内、神田、日本橋、秋葉原、築地魚市場など都心の108の氏子町の総氏神です。神幸祭では、大黒様を乗せた「一の宮鳳輦」、恵比須様を乗せた「二の宮神輿」、将門様を乗せた「三の宮鳳輦」をはじめ、諫鼓山車(かんこだし)や獅子頭山車(ししがしらだし)などからなる行列が、氏子の108町会を巡ります。夕方には日本橋より「附け祭」の行列も加わり1000人規模の大行列となります。
翌日は、氏子町が町神輿を競い合う祭りの華、「神輿渡御」です。
大小100基以上の町神輿が町に操り出し、70基以上が神田明神を目指し、境内に繰り込む姿は壮観です。
5月15日は祭りの締めくくりとして最も重要な神事、例大祭が執り行われ、平和と繁栄を祈願する厳粛な行事とされています。
神田祭は、又、江戸の風情を踊る歌舞伎舞踊の演目にもなっています。

 

 

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