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ひな祭りの由来と日本の踊り

生活と文化~ひな祭りとおどり

ひな祭りと日本のおどり

♪女雛男雛を並べておいて~♪吉野山の満開の桜を背景に、義経の忠臣・忠信と静御前が一対の雛人形となる舞踊曲「吉野山」の名場面。

その他、官女、五人囃子など、ひな祭りは日本の舞踊と深く関わりがあります。

ひな祭りの起源

ひな祭りの起源は複数あるそうですが~

京都の平安貴族の子女による「雅びな(遊びごと)」として行われていたとする記録があり、

京都には人形寺もあります。

京都の宝鏡寺は別名「人形寺」とも言われ、光格天皇遺愛の品のほか、多くの人形が納められ、10月には人形供養の行事も行われます。

 

雛祭りが「ひなあそび」とも呼ばれる様に、小さな御殿「屋形」をしつらえ飾ったと考えられている。

一方、平安時代には3月3日に陰陽師を呼びお祓いをさせ、身に降りかかる災難を「流しびな」として流す行事になりました。

「流し雛」は今でも下鴨神社で自分の生年月日を書いた紙の人形(ひとがた)に移らせて川に流す行事として再現されています。

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江戸時代のひな祭り

古くは「上巳の節句」「弥生の節句」などと呼ばれますが、ひな人形を飾り、白酒や桃の花を供えて女の子の成長を祝う形式はそのままですね。

こうした風習が定着したのは社会が安定した江戸時代、つまり平和になって庶民は暮らしを楽しむようになりました。平和こそが文化発展の土壌と言われる所以です。

「人形遊び」と「五節句(「人日」「上巳」「端午」「七夕」「重陽」)の一つと結び付け、節句の祓として<雛祭り>を行うようになりました。

 

江戸時代初期のひな人形は男女一対の内裏雛でしたが、飾り物としての古の形式と、一生の災厄をこの人形に身代りさせるという祭礼的意味合いと、武家の子女など身分の高い女性の嫁入り道具の家財のひとつに数えられるようもなり、華美で贅沢なものになっていきました。

 

更に、時代が下ると人形は精巧さを増し、十二単の装束を着せた「元禄雛」、大型の「享保雛」など、金箔張りの屏風の前に内裏の人形を並べるものになっていったが、享保年間、幕府が消費を規制するようになり一時的に大型の雛人形が禁止された。

 

しかし、江戸の商人は、この規制を逆手に取り「芥子雛」と呼ばれる精巧を極めた小さな雛人形(わずか数センチの大きさ)を作成し新しい流行になっていきました。

ピンチはチャンス!の源流は江戸時代にあったのかもしれません。

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ひな祭りの起源は中国までさかのぼれる

3人の娘を失った悲しみを村の人たちが慰め、励ます為のものでした。

中国・漢の時代の徐肇(じょちょう)という男に3人の女娘がいましたが、3人とも3日以内に死んでしまいました。

娘を失い嘆き悲しむ様子を見た同じ村の人たちが酒を持ち、3人の女児の亡骸を清めて水葬したことに由来しているとされています。

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生活と文化~ひな祭りに飾る花の意味

ひな祭りと言えば、桃の花、橘、菜の花、桜~春爛漫~でも意味がるんです~

まづは、桃の花~桃には魔よけや厄除けをしてくれる力があるといわれる事から、女の子が健やかに成長するようにとの願いが込められて「ひなまつり」に飾られるように~

 

橘~昔から日本に自生している植物で、神のよりしろとも言われてきた橘は、不老長寿の願いです。。橘は雛人形に向かって東側に飾るのが決まりです。ご存じでしたか~?

 

桜~桜には魔よけと邪気払いをしてくれる力があるといわれる事から「ひなまつり」に飾る事も多いようです。

 

最後は、菜の花~春を感じることが出来るように~とお浸しにして食卓に上がることが多い事から、春の代名詞として、飾るようになったようです。

<菜の花のお浸し>春の到来を実感する味覚ですね~

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旅はじぶんさがし~ひな祭りを見に行こう

雛人形には初節句に寄せる祖父母の思いが溢れています。

でも、最近は、居住環境が狭く、雛人形を飾る事が難しいくなっていますね。

5段飾りの立派なひな飾りも、最上段だけ飾る事が多くなりました。

雛人形を飾ると一気に、春満開!! です。

 

最近は観光地として街中に雛人形を飾り、公開している街もありますよね~

一度、出かけてみようと思います。

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